学力と人柄

学力と人柄

教育再生会議が「人物本位」の選抜を行う、という提言を出し多方面から批判を浴びています。私自身も「入試はあくまでも学力テストで」という立場で朝日新聞「私の視点」に意見文を投稿し掲載されました。
(2014年12月4日)

しかし、人柄や人物が「取るに足らない」と思っているわけでも「評価不能」と考えているわけでもないのです。
人柄は「人生の物質的成功において」と仮に限定しても学力よりもむしろ大きな役目を果たしているように思われます。そのことには誰も異論はない。だからこそ教育再生会議も「人物判定」を持ち出したのでしょう。おそらくは政権の意向に沿って「思い切って目を引くフレーズを打ち出さなければならない」という意志によって。

で、その「判定」ですが、実は場面によっては「瞬時に判定できる」のが人柄であり人物です。教室に入ってくるときの目線、ドアの閉め方、椅子の引き方、鉛筆の握り方、ため息の付き方。もう全てがその子の「人物」を如実にあらわしている。ただし肝心なのはこれが「なにげなくそれが行われた場合」にかぎって「隠しようもなく」あらわれるということなのです。
皆が「受かりたい一心で、かしこまっている」入試の会場で数分間面接をしても「人物」は決して立ち現れないでしょう。それを補うものとして高校の内申書や成績の評定を持ってくると、これはもう、まったく当てにならない。(そのことは投稿記事に書いてあるのでお読み下さい。)

現在幾多の推薦入試が面接と小論文と内申書、そして自己推薦文などで「人物判定」を行っているはずですが、その「不可能性」を正直に白状する大学も出てきているようです。入社試験と同じです。あの「かしこまった場」でなど何もわからない。わからないけれど会社ならばひとまず使ってみて使えないやつはやめさせる。あるいは自ら去る。大学だって基本的にはそれしかない。アメリカの大学は人物入試ですがおそらくそうなっています。日本の大学はしかし「入れてやってもいいけど、おまえちゃんと務まるの。はんぱじゃないぜ、ハーバードは」という世界ではない。「入ればこっちのもの」と皆が考えている。だからなんとしてもはいりたい。ずるでもいいからはいりたい。その「ずるの温床」なりはてているのが推薦入試です。まあ日本の大学はほとんど「就職予備校」ですからなんでもいいといえばなんでもいいのかもしれません。わたしの投稿記事を読んで高校時代のクラスメートでかつての企業戦士はこういいました。「なんでそういきりたつの。どうせ会社に入れば淘汰されるんだから。所詮時間の問題でしょ。」
しかしその「就職予備校の現実」を語らず、先端研究機関にあてはめるような理屈を「うつくしく語る」ひとびとがいるのはどういうわけでしょうか。わたしは理系の先端研究をになう大学は人物入試に移行すべきだと思うし、いやでも移行していくのではないかと思います。

その上で「人柄と学力」について考えてみたいと思います。

塾に新しい生徒がはいってくるとわたしたち教える側は無意識に「人柄軸」と「学力軸」を使ってその子を判定していることがわかります。

私の塾は「黒板でやらせる塾」なので一コマ二時間の授業でもうすっかりわかるのです。

そこでは不思議なほど夫とわたしの判定はズレません。たまたま数学の授業だったとしても、隣で英語のクラスをやっているわたしにもわかってしまうのです。その子がどのような姿勢で階段をのぼってきたか、どのようにドアを開けたか、はじめに何をいったか、月謝袋は自分から出したか、催促されたか、はたまた初日から家に忘れてきたか。挨拶をしたか、その時目を合わせたか。黒板に立っているときの後ろ姿。掃除の時のぞうきんのしぼり具合。帰っていくときの肩の線。

これはなにも私たちがひとよりも「鋭い」とか「洞察力がある」とか言っているわけではないのです。
わたしの娘のひとりはパン屋です。すぐ隣のスーパーで二百円足らずで売られている食パン一斤がこの店では四百六十円もします。(もちろんパンの「出来」は違いますが。)でもそれでぼろもうけをしているわけではなく、粉を厳選し、酵母をおこし、三日かけてまじめにつくればそういう値段になるのです。「違いがわかる人」はいつも買ってくれます。ふつうのパン屋だと思ってうっかり迷い込んだ人は値段が高いのでびっくりするかもしれません。でも訳あって高いのです。娘はひと目でその人物が「食パンなどに四百円以上払えない人間」か「うまいものにはお金を惜しまない人間」か見抜きます。のみならず「会社に行かなくなってさびしいからい気晴らしに文句ばかり言ってくる団塊世代のリタイアおじさん」「ふところが苦しいので合計金額を頭の中で必死に足し算しながら買うつましい主婦」「ネットで評判を見て自転車で遠くからやってくる一人暮らしのパンオタク」もうみんなわかる。

歯科衛生士の知り合いがいました。口の中をのぞけばすべてがわかると言いました。私は生活でなんらかのストレスを強く受けているらしく就寝中歯をいつも食いしばっていました。食事の後にすぐ歯磨きをするタイプでもありません。すべてばれていたと思います。

だれでもどこでも瞬時に判断してしまうもの。それが人物であり人柄でしょう。特別なことではありません。それにもかかわらず会社が入社試選抜で判断をあやまるのも、推薦入試で「とんでもない子」が医学部に合格してしまうのも、そこが「人物がむき出しになっている場」ではないからです。

そして 教育であれ仕事の現場であれ物事が生起していく場はこの「むき出しの場」でしかないのです。耳にここちよい理想やグローバル対応用語にまどわされず本当の学びの現実を見つめたいと思います。