高校数学はただの計算か

 期末テストが近づくと、生徒が学校の問題集やらプリントやら持ってきて、見てくれという。ぼくは自分の経験が広がるから、それに付き合うのは大歓迎なのだが、公式に当てはめさせようという問題は多いが、公式自体を証明させようという学校は少ない。br / いわゆる中堅校と言われる高校が仮にも進学実績をつくり、できるなら学校のレベルを上げたい気持ちは理解できる。公式自体は先生がお膳立てをし、それを利用させてどんどん問題を解かせたい、答えを出させたいということだろう。だがそれが数学にとってどんなに不自然なことか分かっていない先生が多いのだ。教師の役目は「公式に頼るなよ」とか「公式は証明するもの」と言って、生徒を自立させることにあるのではないか。br /br / そういえばここ何年も、xとyと数字の計算だらけで、改行も接続詞も指示語もない生徒たちの答案を多く見かける。彼らには図やグラフも日本語も必要ないのだろうか。チョーがつくほど平凡な計算に走って、それが数学といえるのだろうか。図を描こうとしないというのは、数学では初めの発想の段階から何も考えていないというサインなのだ。br /br / 十数年前に東大入試で加法定理自体の証明が出題された。どんな生徒がそれを証明し得たのだろう。自分でしっかりとした図を描きそれを見つめる、まずそれが第一段階。その後は心の底からあぶくのように湧いてきた原始的な発想・淡い直感を育てること、それが第二段階である。入試問題を見ていると、国立大学は東大に限らず、たいていどこもとてもそのような過程を要求する。覚えた公式で解けるようなぺらぺらな問題は少ない。br /br / ラインなどというくだらないものに1日のほとんどをかけ、ご飯の最中にも携帯を離さない子供たちが増えている現代に、教師が何を教え、何を指導したらよいか。目先の結果に振り回されず数学の基礎力を教えるべきだ。基礎力というと易しいことができる力と思われがちだが、一人前のグラフや図が描ける訓練、確率では短くてしかも誰にでも分かる文章を書く力、そして自分の発想を育てられる孤独を楽しむ力、が基礎力である。学校にもその訓練を期待したい。br /