「勉強の意欲」は「親の欲」とは違う

「勉強の意欲」は「親の欲」とは違う

ちがごろ「親むけの就職説明会」をおこなう大学もあるそうです。その「親の参加」を大学のメリットとして使う大学が出てきたというわけです。「我が大学はかくも就職の面倒見がよい」だから「いい大学」であると。
現代日本の「大衆化」した大学にあって、多くの大学がもはや「学問の府」などではなく「就職予備校」であることはある意味真実ではありましょう。親の子育ての第一目標は「子どもの就職」でありそのための「就職予備校であるところの大学」があり、「就職予備校である大学」のための、そのまた予備校や塾がある。こういう構図です。

実際、保護者のかたがたと面談していますとここ十年くらいですが、次のような「あからさま」な質問をよく受けるようになりました。
「先生、マーチで就職はあるんでしょうか。国公立は無理としてもなんとか早慶に入れたいんです。」
「先生は、○○大学を薦められますが、いったいそんな大学行って、就職大丈夫ですか」
二十年にわたる経済低迷で「そこそこの大学」を出てさえも、ろくな就職にありつけないという状況ですから、無理もない話ではあります。

また、保護者の方はこのようにもよくおっしゃいます。
「うちの子だってもっとやればできるとおもうんです。ただ、やっていないだけなのでもっと意欲をだせるようになんとか指導して下さい」
「机にせめてもう1時間よけいに座ってほしい。やっと部屋へあがったと思って覗くと、もう寝ているんです。受験生だというのに、やる気はどこにあるんだか」

子どもの「意欲、やる気」と、保護者の方は口にされています。保護者ご本人の本意をさらにつっこんでいえば「意欲を出して成績をあげてほしい」なぜなら「これでは就職が心配だ」です。もちろん以前から、いい成績、いい大学、いい就職という道筋がなかったとはいいません。明治以来ずっとそれはあったでしょう。ただだれでも大学に行く、行ける「大学教育大衆化」とともにそれは内実をかえました。
このごろはそれに「グローバル人材」というのが加わりました。英検、TOEIC, TOEFLEなどの「親ウケ」はすさまじいものがあります。
「先生、今週末は英検を学校で受けさせてくれるんです。準2級を受けます。前回もう(中2で)受かっている子もいるんです。対策をしてください。」
「やはりこれからの世の中、トーイックは大事ですよね。専門の塾があるみたいなので移ります。」
ところが皮肉なことですが、優秀な子が集まっている学校ほど、またその親御さんほどこういった「資格」に翻弄されることは少ないようです。(英検を「学校で」催すのはおもに「中堅以下」の進学校です。御三家は英検など問題にはあまりしていません。)自分に自信がない、自分の子どもに自信がない親御さんほど「グローバル人材を我が校は育てます」的な、宣伝文句にまどわされて「国際コース」がある学校を「もしかして、うちに子だって」と選んでしまったりしています。

このような「就職恐怖」そして「グローバル人材指向」がいまや教育界を根底で動かしている「エンジン」です。官界、経済界、は「グローバル人材」を要求し、民衆はそれに「就職恐怖」が加わって、すっかり自分を失っている。それが「親の就活説明会」に「心配顔」で集まってくる保護者たちの姿です。なるほどこの少子化です。たった一人の子に自分の老後がかかっているとなれば、罪もない話というべきなのかもしれません。

ところがです。「ものがわかる」「たったひとつの問題が解ける」その「困難と喜び」の現場というものは、実はこのような親御さんの「恐怖心」や「コンプレックス」や「欲」とは、一切無縁なんですね。よく受験テクニックとか知識偏重とか、古くは「つめこみ」とか塾の教育に対しての悪口が(現在では要請、つまり高いお金はそのためにこそ払っているという要請、にかわりましたが)よく聞かれますが、「補助線ひとつ引く」にも、その学びの現場というものは欲とは無縁。仮に英検対策をするにしても単語ひとつ実は「欲」では身につかないんです。(ここでは詳説しませんが、興味のあるかたは生田英数会のHPへどうぞ)

「就職できないぞ」と脅して問題が一題でもよけいに解ければ、塾にとってこんなにたやすいことはない。「グローバル時代がくるから」といってすこしでも熱心に英語を学ぶ子が増えたでしょうか。
もちろん「勘違い」している子どもはいます。自分は国際コースにいっているからすこしばかり国際人に近づいている、あるいは将来は世界をまたにかけて英語を駆使して活躍する場が用意されているのではないかと。「国際何チャラ学部」の激増はその「ニーズ」を見込んでいますよね。高校の国際コースやいわゆるセルハイ(Super English Language High School )について「美辞麗句」ばかりが目につきますが、実態はどうなのでしょうか。わたしの生徒の中にはどこが主語でどこが動詞かもあやしいまま、先生が配ってくれた「全訳」を「日本語でおぼえて」答えを書く「国際コース在籍」の子がいました。勉強は一からやりなおしで、「使える英語」のまえに「使える頭」がすっかり崩壊していて、暗然としたものでした。官、民あげて英語改革に表層的にしか対処してこなかった結果です。(英語ごっこにすぎない小学校英語、役にも立たないALT,嘘ばっかの国際コース、現場が従うはずもない「英語で授業」など)。
財界が「使える英語」を要請し、政官界が応じ(予算を撒き、指導要領で縛る)大衆が「やっぱりグローバル人材よね」と雰囲気で支持する。そして現場ではこころよく「異文化理解」や「国際」の字がおどる。

繰り返します。現今の親御さんの願いは「意欲を出して、就職にしくじらないように勉学に励んでほしい」一言で言えばこういうことです。しかし「就職がないぞという脅し」や親の「我欲」は子どもを育てません。わたしは「どんな子どもでも可能性がある」とか「意欲を秘めている」とも思いません。そこに個人差がないわけはないのです。「現場」はそうたやすいものではありません。
塾というとなにか特殊な秘訣や裏技をおしえてくれるものという期待をするかたがいますが、まっとうな塾ほどそんなことは「ない」と覚悟することこそが「秘訣」だと、早めに悟らせるでしょう。だいいちまともな、多少とも知的な親御さんほどそんなものは期待しないものです。
心配顔で親の就職説明会に参加する善男善女のかたがた。すこしでも我が子の人生を有利にしたい。その応援をするのが「親のつとめ」だ。それの何が悪い。なるほどそうではありましょう。これはこのリスク社会の宿命かもしれません。古き良き昭和の時代のように「人間まめに働いていれば食いっぱぐれはない」などとはだれも信じられなくなったのですから。
でもそれは子どもがものを学んでいく現場とは残念ながら「無関係」である。これはひとを教えた人間ならだれでも知っている。そうです。だから「我が大学へ来れば就職はばっちり」的な説明会をとりおこなう大学は、教育者のくせに「魂を売り渡している」そう思います。

マスコミも「ちかごろの大学のトレンドは」的な安易な紹介だけでなく、たまには「塩」をそこに擦り込んでもらいたいと思います。